活火山としての富士山と1707年の宝永噴火

富士山は活火山です。最後に噴火したのは1707年(宝永4年)で、そのとき降った火山灰は江戸にも積もりました。この記事では、気象庁が富士山をどう監視しているのか、宝永噴火で何が起きたのか、その噴火でできた宝永火口はどこから見えるのか、いまのハザードマップと避難計画はどうなっているのかを、公的資料で確認できる範囲にしぼって整理します。
「活火山」は、危険という意味ではない
気象庁は活火山を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」と定義しています。この定義に当てはまる火山は国内に111あり、富士山もそのひとつです(気象庁)。1万年という長さのものさしなので、「活火山=いつ噴いてもおかしくない山」という意味ではありません。
111のうち51火山は、噴火の前兆をとらえるため地震計・傾斜計・空振計・GNSS観測装置・監視カメラなどを整備して24時間体制で監視されています(気象庁)。富士山はこの常時観測火山に含まれます(気象庁)。
現在の富士山は「噴火予報(噴火警戒レベル1、活火山であることに留意)」で、気象庁は「火山活動は、これまでと変わらず静穏な状況で、噴火の兆候は見られません」としています(気象庁)。噴火警戒レベルとは、火山活動の状況に応じて「警戒が必要な範囲」と防災機関や住民等の「とるべき防災対応」を5段階に区分して発表する指標で、レベル1はそのいちばん下にあたります(気象庁)。
宝永噴火では、江戸にも灰が降った
内閣府の中央防災会議がまとめた報告書「1707 富士山宝永噴火」は、噴火の期間を宝永4年11月23日(1707年12月16日)から宝永4年12月9日(1708年1月1日)としています(内閣府 災害概略シート)。
気象庁の記録によれば、12月16日の朝に南東山腹で爆発が起き、黒煙・噴石・空振・降灰砂・雷をともないました。灰はその日のうちに江戸にも多量に降り、川崎では厚さ5センチに達しています(気象庁 日本活火山総覧)。
内閣府の災害概略シートは「一次被害では直接的な人的被害は記録されていないものの」としたうえで、降ってきた火砕物によって建物が倒れ、農地が耕作できなくなり、山林や道路も被害を受けたとまとめています。須走村では75戸が倒壊しました。
ただし、人が死ななかったわけではありません。噴火は月末まで断続的に続き、気象庁の総覧は「家屋・農地が埋まった村では餓死者多数」と記録しています。被害はそこで終わらず、積もった灰が雨のたびに流れ出して洪水と土砂災害を繰り返し、酒匂川流域の足柄平野では二次災害が100年近く続きました。
ただし、この規模は富士山の噴火として標準的ではありません。同じ報告書は「宝永噴火のような大規模かつ爆発的な噴火は、富士山の噴火史上むしろ稀な事件といってよい」と書いています(内閣府「おわりに」)。

噴火の49日前に、大地震があった
1707年10月28日、宝永東海・南海地震が起きています。富士山が噴いたのはその49日後でした。内閣府の報告書は「宝永噴火は、宝永4(1707)年10月28日に起きた宝永東海・南海地震によって誘発されたと見られる」としています(内閣府「おわりに」)。
もっとも、同じ報告書は「近くで大地震が起きたら即噴火というような単純な関係は必ずしも成り立たない」とも明記しています。
前兆はありました。気象庁の記録では、噴火の1〜2か月前から山中だけで有感となる地震活動があり、十数日前から活発になって、前日には山麓でも有感の地震が増えています(最大規模はM5級。気象庁 日本活火山総覧)。
宝永火口は、南側から見える
宝永噴火でできた宝永山は、富士山では最大かつ最新の側火山で、山頂の標高は2693メートルです(環境省 関東地方環境事務所)。
環境省の沼津自然保護官事務所は、写真の富士山がどこから見たものかを見分ける手がかりとして、南側から見た富士山では「宝永火口と宝永山が目印」で、「富士市や函南町からもわかります」と説明しています(沼津市からは愛鷹山に隠れて見えない、とも書いています)。
東海道新幹線が富士山に近づくのも、その富士市を走るあたりです(富士山が一番大きく見える区間)。車窓から見ているのは、宝永火口のある南側の斜面ということになります。ただし環境省の資料が書いているのは富士市から目印になるという点までで、走る列車の窓から判別できるかどうかには触れていません。
ハザードマップは2021年に改定された
2021年(令和3年)3月26日、富士山火山防災対策協議会は富士山ハザードマップを改定しました。平成16年版のあと、研究によって噴火履歴の新しい知見が積み上がり、火口の位置や噴出物の量について被害想定を見直す必要が高まったためです。協議会は平成30年に作り直しを決め、約3年かけました(静岡県)。新たに見つかった火口に加え、地中に埋もれた「伏在火口」として山頂から半径4キロ以内の全域を加えたため、想定火口範囲は広がりました。対象とする噴火年代も「約3,200年前から現在まで」から「約5,600年前から現在まで」へ広げています(富士山火山防災対策協議会)。
同じ資料によれば、過去5,600年間で約180回の噴火が確認され、そのうち96パーセントは小規模または中規模でした。「1707年の宝永噴火を最後に、その後300年以上、噴火の確かな証拠は確認されていない」一方で、「次の噴火が頻度の高い小・中規模になるとは限らず、頻度の低い大規模噴火になる可能性もある」とも明記されています。
新しい想定では富士吉田市と富士宮市の市街地の近くに想定火口が置かれ、溶岩流が市街地に届くまでの予想時間が極めて短くなりました。神奈川県を含む7市5町が新たに火山災害警戒地域に加わっています。これを受けて協議会は、旧計画「富士山火山広域避難計画」を「富士山火山避難基本計画」と改称したうえで改定し、2023年(令和5年)3月29日に公表しました。「いのちを守る」避難を最優先し、「くらしを守る」避難も最大限考慮する、という考え方に立っています(静岡県)。
乗る側として、どう受け止めるか
いまの富士山の活動は静穏で、気象庁が24時間監視しています。新幹線で通り過ぎるあいだの心配としては、現実的ではありません。
ただし「監視しているから必ず事前に分かる」とまでは、当の気象庁も内閣府も言っていません。気象庁は噴火警戒レベルの留意点に「異常が観測されずに噴火する場合もあり、レベルの発表が必ずしも段階を追って順番どおりになるとは限りません」と書き、内閣府の報告書も、小規模な噴火では前兆が観測できない場合が十分にあるとして「予知だけに頼る防災対策は禁物である」と結んでいます。登る予定があるなら、出発前に気象庁の噴火警報・予報を確認してください。
そのうえで車窓から宝永火口を探すと、この山の見え方が変わります。整った円錐形は完成した造形ではなく、噴火のたびに書き換えられてきた途中の姿です。新幹線で富士山(時刻計算)でおおよその通過時刻を確かめておけば、窓に山が入ってから火口を探す余裕も生まれます(表示は推定時刻です)。世界文化遺産になった経緯は富士山はなぜ「世界文化遺産」なのかで扱います。
出典
- 気象庁「活火山とは」 — 活火山の定義「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」、国内111の活火山
- 気象庁「火山の監視」 — 111の活火山のうち51火山を24時間体制で常時観測・監視、観測機器の種類
- 気象庁「噴火警戒レベルの説明」 — 5段階に区分して発表する指標であること、「異常が観測されずに噴火する場合もあり、レベルの発表が必ずしも段階を追って順番どおりになるとは限りません」
- 気象庁「火山活動の状況(富士山)」 — 噴火予報(噴火警戒レベル1)、「火山活動は、これまでと変わらず静穏な状況で、噴火の兆候は見られません」
- 気象庁「日本活火山総覧(第4版)55.富士山」 — 常時観測火山、1707年12月16日の宝永噴火、南東山腹(宝永火口)、江戸に多量の降灰・川崎で厚さ5cm、噴火1〜2か月前からの地震活動と前日のM5級、「家屋・農地が埋まった村では餓死者多数」
- 内閣府 中央防災会議「1707 富士山宝永噴火」報告書 — 災害概略シート(噴火期間、須走村75戸倒壊、江戸にも降灰)、「おわりに」(宝永東海・南海地震による誘発、大地震と噴火の関係、足柄平野の二次災害、大規模噴火は稀)
- 富士山火山防災対策協議会「富士山ハザードマップの改定について」(令和3年3月26日) — 想定火口範囲の拡大と伏在火口、対象年代の拡大、過去5,600年間で約180回、96%が小・中規模、宝永噴火以降300年以上噴火の確かな証拠なし
- 山梨県「富士山ハザードマップ(令和3年3月改定)」 — 改定版のマップ本体と報告書
- 静岡県「富士山火山避難基本計画(令和5年3月)」 — 平成30年に見直しを決定し約3年で令和3年3月に公表、想定火口の設定により7市5町が新たに火山災害警戒地域へ、旧「富士山火山広域避難計画」を改称のうえ改定し令和5年3月29日公表、「いのちを守る」避難を最優先し「くらしを守る」避難も最大限考慮
- 環境省 富士箱根伊豆国立公園 沼津自然保護官事務所「『どこから見ている?』がわかる富士山の見方」 — 南側から見た富士山は「宝永火口と宝永山が目印」、富士市や函南町からもわかる、沼津市からは愛鷹山に隠れて見えない
- 環境省 関東地方環境事務所「壮大な景色!宝永山登山!」 — 宝永山の山頂の標高2693m、富士山で最大かつ最新の側火山
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